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日常

人生の本当に辛い時期を乗り越えた方法

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こんばんは、YONEです。

人生でどうしようもなく辛い時ってありますよね。

僕もありました。

今日は自分の人生を振り返って、本当に辛い時に乗り越えた方法をお話します。

本当に辛い時を乗り切った方法

結論から言うと

「本当に辛い時には人に頼れ!」

ということです。

これまでの人生

僕のこれまでの人生をお話しします。

1984年に東京都に生まれました。

小さい時にはそれなりに裕福で、私立の幼児園通い、劇団ひまわりに入ってしていた時期もあります。

しかし、小学校に上がる直前に父親の事業が失敗、一気に貧しい生活に陥りました。

ちょうど妹が生まれた年でした。

小学校の時には、母は500円玉を握りしめてスーパーに買い物に行く日々。

父親は営業職で働くも、ギャンブルで借金をして、休みの日は昼間から酒を飲むような人

昼間に借金取りが自宅に取り立てに来ることもしばしば。

お世辞にも「いい父親」とは言えない人でした。

とは言え、基本的に暴力を振るったりすることもなく、「優しい父親」ではありました。

小学校6年生の頃、口論から父親キレ包丁を取り出した事件がありました。

今でも鮮明に覚えていますが、本当に母を刺す勢いで襲いかかり、僕は父親を懸命にで止めました。

幸い何事もなくその日は終わりましたが、それをきっかけに両親は離婚。

僕は妹と共に母に引き取られました。

しばらくは母の実家で生活をし、貧しいながらも普通な中学校生活を送りました。

しかし、高校生2年になった時、母の癌が見つかりました。

度重なる入院を繰り返すも癌は悪化し、日に日に弱っていく母を見て

「もうダメかも知れない」

そんなふうに思いました。

そんな時にさらなる事件が起こりました。

離婚していた父が急死したのです。

虚血性心不全

一人で暮らしていた父は、誰にも気づかれることなく息を引き取りました。

両親は離婚はしたものの、お互いに嫌いではなく、安定したら再婚も考えていたようでした。

そのため、母の悲しみは想像を絶するものだっと思います。

治療の甲斐もなく、父の他界から1ヶ月後母もこの世を去りました。

母がこの世を去った日、僕は母に声をかけました。

「大変だったね。辛かったね。僕たちは心配いらないから。ゆっくり休んでね。今までありがとう。」

不思議と涙は出ませんでした。

今思うと母が亡くなっても涙が出ないということは、とても悲しいことだと思います。

「もう助からない。」と覚悟をしていたということですから。

18歳無職、無収入、頼れる親族なし

心配いらないと言いつつも、僕はその時高校卒業した直後でした。大学受験も失敗し、就職もしていない「無職」の状態。

妹はちょうど中学校に入学したタイミング。

また、母の実家はその前年に自己破産をして散り散り状態。

とても、僕と妹を育てる余裕はありませんでした。

こうして、頼れる身寄りもなく僕と妹は世間に放り出されてしまったのです。

しかも、その時母が生活のためサラ金から300万を超える借金をしていました。

この時が僕の人生のどん底でした。

この時に助けていただいた方が三人います。

地域の民生委員

一人目は地域の「民生委員」の方です。僕たち兄妹のことを気にかけていただき、生活保護の申請をしていただきました。

実は一度生活保護の申請を却下されていたのです。

その理由は「母の保険金」が出るから

しかし、未成年の保険金の受け取りには後見人が必要です。身寄りのない僕達には後見人になってくれるような人はいませんでした。

そこで、民生委員の方は役場に掛け合って「保険金が出たら返金する」という条件をもとに、生活保護の申請をしていただきました。

こうして僕は18歳で生活保護を受けることになったのです。

このまま生活保護を受け続けるわけにはいかないので、僕は公務員になるべく勉強をすると共にアルバイトを始めました。

また、妹には母の遺族年金が出ましたので、生活保護の受給額はアルバイト代と遺族年金を引いた金額で受給していました。

そして、その年国家公務員試験3種に合格し、翌年から公務員生活をスタートすることになりました。

民生委員の方にはいくら感謝をしてもし足りません。

この方がいなければ、今の僕はないでしょう。

親切な弁護士

二人目は生前に母が相談していた弁護士の先生です。

母が亡くなった時に、無償で相談に乗っていただき、相続放棄の手続きをとっていただきました。

その結果、母が残した300万円超の借金は帳消しになりました。

本当に素晴らしい方です。

地元病院の院長

三人目は地域の病院の院長先生です。

同級生の実家ということもあり、顔見知りだった先生は「うちでアルバイトをしないか?」

と声をかけていただきました。

さらに、「仕事に必要だから」と自動車免許を取らせていただきました。

この時働くということを教えていただくと共に、免許の取得までさせていただいたことは本当に感謝しています。

その後20歳になり、母の保険金が入ると生活保護費を返却し、先生にお世話になった自動車免許の費用もお返ししました。保険金はほぼそれで使い切りましたね。

そして20歳で中古の家を購入し、新しい生活をスタートしました。

18歳から20歳までは本当に激動の期間でした。引越しの最中に元の住居が家事になるという事件もあり、最後の最後までパプニングだらけの日々でした。

その後は平穏な日々が続き、25歳で妻と結婚、2人の子供と幸せな日々(途中働いていた省庁がなくなったり、転職したりとありましたが)を送っています。

学んだこと

ここで僕が学んだことは、

「本当に困った時には人は助けてくれる」

ということです。

お読みいただいた方の中には

「生活保護なんて受けずに自分で働け」と言う方もいるでしょう。

しかし、当時生活保護を受けたからこそ、しっかりと勉強をして公務員試験に合格をすることができました。

結果としてちゃんと税金を収めることができるようになり、地域や国に還元することがました。当時何のスキルも持っていない僕が、妹を育てるためにアルバイトなどに全ての時間を費やしていたら、今こうして幸せに暮らせていたかわかりません。

一時的に国の制度の世話になったとしても、その後に返還できれば良いと思います。

そして、生活保護はそのための制度という面も持っています。

この経験から僕が伝えたいことは

「本当に辛い時には、人は助けてくれる」

ということです。

人から助けられることに抵抗がある方もいるかも知れません。

「自分でなんとかしなきゃ」と思う人もいるかも知れません。

でも

差し伸べられた手はつかんで良いのです。

頼っていいのです。

自分一人で抱え込まなくて良いのです。

そして、

助けられたのであれば、助けてあげられる人になれば良いのです。

もう一つ重要なことは

過去に絶望しない

未来を悲観しない

ということです。

今を精一杯生きていけば、いつか未来は開けます。

  • 辛い時には、人に頼る
  • 今を精一杯生きる

これが20歳までに学んだ僕の教訓です。

生活保護を受けられるのに、一人で頑張っている人のニュースを見ると辛くなります。

日本人は「人に頼る」に抵抗感を感じる人多いようです。

繰り返しになりますが、

人に頼って良いのです。

そして復活したら、頼ってもらえる人になりましょう!

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